健晃堂

雑念を払って過ごしたい

おはようございます。

お正月はいかがお過ごしょう?

ゆっくりした気分で過ごされていますか?

もし、落ち着いた気分でのんびりと過ごせているのであれば、それは日頃から一生懸命に生きている証だと思います。

気になって仕方が無いやるべきことが残っていれば、いくらお休みでも、のんびりした気分で過ごせませんから^^

私も今年は、出来るだけ雑念を取っ払って日々を過ごしたいと思っています。

雑念を取っ払うとは、ただ単にリラックスの時間を多く取るといったような意味ではありません。

全力を出し切る場面では、常に全力を出し尽くす。

休む場面では思いっ切り休む。

この繰り返しが大切。

昨年、一昨年の夏、7日間の山籠もりの中で、いかに日頃が雑念に囚われて生きているのかを実感させられました。

ネットも電話もつながらず、人との接触も無く話をすることも許されない状況の中でも、頭の中は現実の世界のことだらけ。

気分を変えようとすればするほど、雑念は強くなる一方でした。

儀式の当日に神様にされるためには、心身ともに穢れを落とし清めなければなりません。

これは何も、宗教的な意味だけではないと思っています。

頭の中から余計な思考が排除されると、人の動きにブレーキを掛ける刺激が無くなります。

すると人間が本来持ってるにもかかわらず、日頃は忘れられている感覚が甦ったり、思いもよらない力が発揮出来る。

簡単に言えば、神様の憑依とはそのような現象でしょう。

過去2年間の経験では、私はなかなか無心になることが出来ず、ずいぶんと“神が憑いた”状態になるのに時間が掛かりました。

それは日頃の生活の中に、まだまだ雑念が生じている証拠。

仕事や学び、人との付き合い、様々な活動の中において、全力を出し切れていれば雑念は取っ払えるはず。

今、この時に集中して、日々を全力で生きて、全力で楽しみ、休む時には思いっ切り休む。

この意識、いつ、どんな時でも忘れないようにしたいものですね。

今年も明日から本格的に動き始めるでしょう。

素晴らしい一年になるよう、一日一日を大切にお過ごし下さいませ^^

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