健晃堂

あまりたる事は、たらぬと同じ事也

「あまりたる事は、たらぬと同じ事也」

宮本武蔵の言葉です。

道具の持ち過ぎは、足りていないのと同じ。

逆に、マイナスになるという意味ですね。

様々な挑戦をしてみたものの、全てが中途半端になり結局は何も実を結ばなかった。

あるいは、自分の専門分野について深く学べば学ぶほど、身に付けた知識や技術を使いこなせなくなり、逆に何も出来なくなってしまった。

似たような経験、誰にでもあると思います。

こんなことになってしまう理由の一つが、

権威の確立したものは、あまり役に立たないものがほとんどだから。

どういうことなのでしょう?

例えば、何か新しいビジネスに挑戦するとします。

そんな時の人は、実績が十分で有名な人から学んだり、情報を取り入れようとすることが多々あります。

しかし、このようにして得た学びからの挑戦は、あまり実を結ばないのが現実。

なぜなら、実績十分で権威が確立された人の話は、すでに旬を過ぎているケースが多いからです。

何かに挑戦してみた。
  ↓
上手く行かない。
  ↓
また新たな良い話と出会い行動を起こす。
  ↓
やはり結果が出ない。
  ↓
今度は、実績のある人から直接アドバイスを受けて行動してみよう。

などを繰り返していては、いつまで経っても思い通りになりません。

知識やスキルは増えはしても、それらに囚われて逆に何も出来なくなるだけ。

正に、たらぬと同じこと。

すでに権威を確立しているものを見たり、実績十分な人の話を聞いてばかりしていては、盛りを過ぎたものにしか出会えないでしょう。

常に時代遅れの行動しか取れなくなってしまいます。

今現在、上り調子の人の行動・知識・思考などは、まだ人に知られず、社会的に評価を受けていないもの。

エネルギーを使い果たし抜け殻になった頃に、ようやく認められ、権威が確立するわけです。

そのころには、世の中は大きく変化している可能性も高いでしょう。

では、どうすれば良いのでしょうか。

松尾芭蕉が「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」という言葉を残しています。

つまり、権威を確立した人たちの「手法」を求めるのではなく、そこに至るまでの過程を学ぶことが大切と教えてくれているのでしょう。

社会的な成功者たちは、必ずと言って良いほど、大きな失敗を何度も繰り返しています。

今現在、上昇気流に乗っている個人起業家も、その流れに乗る以前には、膨大な無駄とも思えるような時間と労力を費やしています。

その多くの無駄な時間と労力や、数えきれない失敗を繰り返して来た人だけが、やっと本物に出会うことが出来るのです。

あまりたる状態にならないためには、知識、技術、人脈なども、本当に必要なところにだけ、意識を集中させることが大切。

とは言え、何が本当に必要なのかを知るためには、多くの無駄な時間と労力を費やすことは避けられません。

「あまりたる事・・・」の言葉も、武蔵が試行錯誤を重ねた末に、ようやくたどり着いたもの。

今現在、権威の確立された人や情報にしか触れていないようであれば。

もしかすると、将来は危ういかも知れません。

自分自身の振り返りとして、参考にしていただけると幸いです。

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