健晃堂

自分で実体験し考えることの大切さ

多くの人は、偉い人や、大きな実績を出している人の話を鵜呑みにしてしまいがちです。

何かの世界で権威者と呼ばれる人。

カリスマ的な力を持つ人々の集団のトップに立つ人。

このような人が何かを褒め称えると、みんな一斉にそちらの方へなびいたり。

反対に、誰かをバッシングすると手のひらを返したように、その人から離れてしまったり。

しかし、権威者と呼ばれる偉い人でも、カリスマ的な力を持つ人でも、世の中の全てを正確に把握している訳ではありません。

ある現象を自ら経験することなく、知識のみから判断して人々に説明している。

人の行動を表面上だけしか見ず、その人の奥深いところまで知ろうとしないまま批判していることなどが多々あります。

それらの話は、間違っていたり、思いもよらないような事実が隠されていたとしても、完全に鵜呑みにしてしまっては、そこに気が付きません。

これは、自力で自分の人生を切り開いて行こうとする人にとっては、非常に大きな問題になります。

もちろん、権威者やカリスマと呼ばれる人の話は、普通の人の考えより正しいことの方が多いでしょう。

ですが、もしその人が居なくなったとしたら……

自らの目で確かめたり、実体験を通して肌感覚で何かを掴む習慣が無い人は、この時点で何も出来なくなります。

また他の権威者やカリスマ的な存在の人物に頼って生きることになります。

もちろん、そのような生き方が悪い訳ではありません。

自力で自分の人生を生きるよりは、むしろ強大な力を持つ一部の人物に依存して生きた方が、結果的には迷いも少なく楽に生きられるかも知れないでしょう。

ただし、この生き方には大きな犠牲が伴います。

自分の人生に秘められた大きな可能性を、誰かに依存した時点で閉ざしてしまうことになるからです。

また、依存していた人物が、自分が望まない方向へ向かってしまうリスクも決して少なくありません。

カリスマと慕われる教祖的な人物に出会い、この人の教えを聞いていれば間違いないと思っていたら、その人物が突然犯罪者となり、自分も共犯者として巻き込まれてしまう。

大きな会社に就職し人生は安泰だと思っていたら、突然会社が倒産してしまった。

会社人間として過ごしてきたので、会社が無くなってしまうと、自分には生きていく上で必要なスキルが何も無く路頭に迷うことになる。

今の時代、このような話は決して他人事ではありません。

すでに、経験がある方も少なくないでしょう。

ならば、誰かからバカにされたり批判を受けたりしても、何事も実体験として経験してみるべきでは?

行動すれば、もちろん失敗もします。

むしろ、失敗することの方が圧倒的に多いものです。

失敗すればするほど、カリスマや権威者に従うだけの人達から、笑われ、馬鹿にされ、白い目で見られることになるでしょう。

ですが、何事にもしっかりと考えてから実体験を積み重ねれば、確実に人は成長します。

ただし、無意味に行動を起こし実体験を積み重ねれば良い訳ではりません。

行動を起こす上で必要なのは根拠です。

何の根拠も無く、ただの思い付きで行動を繰り返していたのでは、いつまで経っても成長できません。

何らかの根拠を持って行動を起こせば、たとえ失敗しても、なぜ失敗したのか、次はどうすれば良いのか、と新たな道が見えて来るものです。

そうして実体験を積み重ね、自分の頭で考える習慣を付けることで、自力で自分の人生を切り開く力が身に付いて来るでしょう。

何事にも理論と根拠を求め、勉強し続けることは、自力で生きていくためには避けては通れません。

一方で、すでに示されている理論と根拠は、誰かが積み重ねて来た実体験の上に築かれたもの。

同じ経験を積み、自分の頭で考え、自分自身の力で新たな理論と根拠を導き出す。

これを繰り返すことで、他の人には真似が出来ない、自分だけのオリジナルの生き方が可能になるのでしょう。

最後に、世の中にはまだまだ理論的に説明できない不思議な現象が数多く存在することを忘れてはなりません。

根拠も無く理論的に説明できないような話であっても、まずは自ら経験してみることも大切なこと。

実際に経験すれば、様々な気付きが得られます。

その気付きを基に知識の習得に励み、理論と根拠を確立させていけば良いのでしょう。

誰かの書いた理論的な本を読んだり、権威者やカリスマと呼ばれる人の話をいくら聞いて勉強したとしても、実体験に勝るものはありません。

今現在、正しいとされている机上の理論は、来年には覆されている可能性もあります。

ですが、自分自身の実体験から得られた知識やスキルは、この先も覆されることはありません。

私はこの夏、山籠もりの後、儀式を行い神様に憑依されるという経験を経て、まだまだ世の中には理論的に説明できない現象が山ほどある事を実感しました。

その一方で、迷信とされているような出来事でも、ある程度は理論と根拠が確立されていることも知りました。

数日間、お伝えさせていただきましたが、詳しいところまではとても書ききれません。

ただ、何事も経験してみれば、思わぬ世界が開けることがあるということ。

非日常的な実体験を積むことが、いかに自分の視野を広げ、まだ知らない自分の潜在能力を引き出すことになるということ。

よく知られた話ではありますが、改めて強く実感することが出来ましたので、お伝えさせていただきたいと思います。

15.08.23

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