グーグルで検索すれば、大抵のことは調べることが出来る今の時代。
知識を得ることは、それほど重要ではないのでしょうか?
確かにネットで調べれば済むことまで、何でもかんでも無理に頭の中に詰め込む必要は無いでしょう。
便利な世の中になったものです。
しかし、絶対に忘れてはならないことがあります。
これを忘れてネットに頼り切ってしまうと、人は創造性を発揮するどころか、退化してしまう一方。
それは、“検索で得られる知識は常に自分の外にある”ということ。
自分のものではないのです。
どこか遠くにある知識を、必要な時に借りてきているだけ。
つまり、自分で自分の都合の良いように扱ったり、知識と知識を組み合わせて新しい発想を生み出すために、それらは役に立たないということ。
自分のものではないのだから、自分の都合が良いように扱えないのは当然といえば当然。
自動車をイメージしてみて下さい。
必要な時だけ移動の手段として使うなら、レンタカーで十分でしょう。
ですが、レンタカーを勝手に改造したり、自分名義に変更することは出来ません。
つまり、その車について深く知ることは出来ないのです。
自分の車であれば、どんな乗り方をしようが、どこをどう改造しようが自由。
誰も乗っていないオリジナルの一台を創り上げることも出来ます。
さらに、得になる車検の受け方や保険の加入の仕方など、色々な方向に意識が広がるでしょう。
このような例と同じで、知識とは自分のものにしてこそ、様々な活用が出来るもの。
自分の頭に取り入れ、それらを組み合わせて自分の頭で考える。
時にはバラバラに分解してみたり、時には今までになかった使い方を試してみたり。
そんな試行錯誤を繰り返すことで人は創造性を発揮し、新たな価値を生み出すことが出来るようになります。
そして、新たな価値が生まれるところには、人・物・お金・情報などが集まるようになり“富”が形成されます。
20年前と比べると、日本も貧富の差が大きい社会になりました。
この差はこれから先、広がることはあっても縮まることはないでしょう。
ITの進歩で情報革命が起こり、飛躍的に便利な社会になったために、自分の頭に知識を入れようとしない人が増えました。
それが、以前より貧しい人が増えてしまった理由の一つ。
一方で、豊かな人たちも増え続けています。
そんな人たちは、日々新たな知識を自分の中に取り入れ、嚙み砕き、機械や人工知能には真似が出来ない創造性を発揮し、新しい価値を生み出している人たちです。
知識を自分のものにするためには、時には辛く苦しい経験をすることも避けては通れません。
どれほど興味深く本当に好きな分野であっても、泥臭い行動の後にしか、富につながるような深い知識は得られないものです。
知識が集まる所に知恵が生まれ、知恵が新たな価値を生み、価値がある所に富が集まる。
富が集まる人になるために。
自分の中に、きちんと知識を取り入れる習慣は大切にしたいものです。