健晃堂

2016 護法祭

昨年に引き続き、今年も岡山県久米郡美咲町両山寺で行われた護法祭で、護法実を務めて来ました。

このお祭りは毎年8月14日の深夜に行われ、烏の神様が人間に憑依し、お寺の境内を駆け回り、「お遊び」を行うという奇祭。

神に憑依される役目が護法実。

護法実に憑依した神は人々の穢れを払うとされています。

起源は鎌倉時代で、今年で741回目。

五穀豊穣、家内安全、万民快楽を祈るために行われる儀式です。

護法祭が奇祭とされているのは、お遊びの最中、護法実に捕まると3年以内に災いが降りかかるという言い伝え。

そのため、悲鳴を上げて逃げ回る人も居るなど、かなり独特の雰囲気が漂います。

私が先代から役目を引き継いで、今年で2回目。

8月7日から14日まで、外の世界とは完全に接触を断ち、心身の清浄のため毎日5回の水垢離と巡拝を行います。

そして、当日。

神様に憑依される儀式を行うのですが、昨年以上に今年はなかなか憑いてくれない。

先代と比べ、おそらく3倍以上の時間は掛かりましたが、何とか無事に役目を務めることが出来ました。

「憑依」と聞くと、いかにも迷信めいたもののようですが、このお祭りでは確かにそれは起こります。

それが何を意味し、どのようなメカニズムで起こるのかは、私にもまだ正確にはわかりません。

ただ、何かに取り憑かれるといったことは、日常の中でもしばしば経験するのではないでしょうか。

理由も無く不安や恐怖に取り憑かれたる、一つの考えに凝り固まってしまう、異常なほどの集中力を発揮するなど、憑依とは意外に身近なものかも知れません。

7日間のお籠りの間は、誰とも接触せず、ネット環境とのつながりも完全に絶たれていたにも関わらず、私の頭の中は雑念だらけ。

昨年、今年と私にはなかなか神が憑依しなかったのは、やはりまだまだ心身の清浄化が出来ていなかったため。

雑念が抜けなかったのは、日頃からやるべきことを完全にやり切っていないからでは。

などと、色々と振り返ることが多々ありました。

「穢れ」とは、人の死につながるもの。

神様が払う人々の穢れとは物質的なものだけでは無く、良くない思考・言葉・行動など、人の死を早めるもの全て。

今年の経験を活かし、来年も人々の穢れを払うことが出来るよう、これからも精進したいと思います。

13925050_646208718878383_3597509132446984795_n

13932896_646205238878731_6765138341232593782_n

13891893_646205332212055_4993775020680371860_n

13901548_646205272212061_8126182885438281844_n

14040038_646205378878717_1346160222792207936_n

14045973_646205295545392_1081119597728203624_n

Tagged on: ,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です