昨年に引き続き、今年も岡山県久米郡美咲町両山寺で行われた護法祭で、護法実を務めて来ました。
このお祭りは毎年8月14日の深夜に行われ、烏の神様が人間に憑依し、お寺の境内を駆け回り、「お遊び」を行うという奇祭。
神に憑依される役目が護法実。
護法実に憑依した神は人々の穢れを払うとされています。
起源は鎌倉時代で、今年で741回目。
五穀豊穣、家内安全、万民快楽を祈るために行われる儀式です。
護法祭が奇祭とされているのは、お遊びの最中、護法実に捕まると3年以内に災いが降りかかるという言い伝え。
そのため、悲鳴を上げて逃げ回る人も居るなど、かなり独特の雰囲気が漂います。
私が先代から役目を引き継いで、今年で2回目。
8月7日から14日まで、外の世界とは完全に接触を断ち、心身の清浄のため毎日5回の水垢離と巡拝を行います。
そして、当日。
神様に憑依される儀式を行うのですが、昨年以上に今年はなかなか憑いてくれない。
先代と比べ、おそらく3倍以上の時間は掛かりましたが、何とか無事に役目を務めることが出来ました。
「憑依」と聞くと、いかにも迷信めいたもののようですが、このお祭りでは確かにそれは起こります。
それが何を意味し、どのようなメカニズムで起こるのかは、私にもまだ正確にはわかりません。
ただ、何かに取り憑かれるといったことは、日常の中でもしばしば経験するのではないでしょうか。
理由も無く不安や恐怖に取り憑かれたる、一つの考えに凝り固まってしまう、異常なほどの集中力を発揮するなど、憑依とは意外に身近なものかも知れません。
7日間のお籠りの間は、誰とも接触せず、ネット環境とのつながりも完全に絶たれていたにも関わらず、私の頭の中は雑念だらけ。
昨年、今年と私にはなかなか神が憑依しなかったのは、やはりまだまだ心身の清浄化が出来ていなかったため。
雑念が抜けなかったのは、日頃からやるべきことを完全にやり切っていないからでは。
などと、色々と振り返ることが多々ありました。
「穢れ」とは、人の死につながるもの。
神様が払う人々の穢れとは物質的なものだけでは無く、良くない思考・言葉・行動など、人の死を早めるもの全て。
今年の経験を活かし、来年も人々の穢れを払うことが出来るよう、これからも精進したいと思います。