様々な情報に触れた時に、それらを取り入れるべきかどうか。
多くの人は、頭だけで考えて判断しようとします。
ところが、大脳には免疫機能が無いため、情報については有益か有害かの区別が付きません。
なのに、なぜ人は自分の生き方に関わる重要な選択を、頭だけで決めてしまうのでしょうか?
その理由は、少し歴史を遡る必要があります。
現代の人々が、何でも頭だけで考えてしまうようになったのは、大哲学者であるアリストテレスの影響があるといわれています。
アリストテレスは人類の歴史上、最大の“知”を持っていた人物といえるでしょう。
しかし、アリストテレスの唱えた説が、全て正しかったわけでは無いことは、歴史が証明しています。
世界の中心に地球があるといった天動説などは、今では誰も信じないですよね。
もちろん、アリストテレスの業績は偉大なものですが、アリストテレスの哲学が「経験」よりも「理論」を重視していた点は知っておくべきでしょう。
また、アリストテレスは知を、ポエーシス(poiesis)、プラクシス(praxis)、テオリア(theoria)の三つに分類しました。
ポエーシスとは、ものを作ること。
プラクシスとは、行為、実践など、何かを行うこと。
テオリアとは、研究、理論など、観ること、考えること。
アリストテレスはこの中で、テオリアを一番上位の知と位置付けました。
このことが、後世の人々を「頭脳第一主義」にしたとされています。
研究結果などから頭で考え導き出された理論が最も尊ばれるようになったことから、科学技術が大きく発達しました。
一方で、理論的に説明が出来ない現象などは、例えそれが経験的に正しいものであっても、科学的では無い迷信として、人々から軽んじられるようになっていったのです。
そのような歴史的背景から、人々は重要な物事を決断する時に、直感よりも理論を優先するようになりました。
ですが……
何事においても理論的に取り組めば上手くいくのかというと、必ずしもそうでは無い事は、あなたにも経験があるでしょう。
私も治療家としての活動中に、いくら理詰めで施術を行ったところで、予想通りの結果にならないことは多々あります。
その逆もありますよね。
何で上手くいったのか、さっぱりわからないが、何となく上手く行きそうだからやってみたら、その通りになった。
このような経験も少なくないでしょう。
理論的には説明出来ないが、何となく結果が予想出来る。
そんな時に人は、本来誰もが持っている「身体知」を使って判断しているといわれています。
全身の力で物事の良し悪しを判断する力が「身体知」
この知は、人体を構成する約60兆の細胞の一つ一つが持っていると唱える医師も居るほどです。
もし、本当にこの身体知が存在することが、科学的にも証明されたとしたら。
脳全体を構成する細胞の数は千数百億個。
頭だけで考えた結論は、全身の持つ知の0.002%ほどの知しか使わずに出された結論ということになるのでしょう。
人の脳には複雑なネットワーク構造があるので、そのように単純には計算出来ません。
ですが、人が本来持っている力をほとんど使わずに出された結論であるとは、イメージ出来るのではないでしょうか?
頭以外で感じることの重要性は、情報の良し悪しを判断する上で、とても大切である事は間違いないでしょう。
日頃から頭を鍛えて「頭脳知」を高めておくことは、これからの時代、より一層重要になるでしょう。
ただ、一説によると2045年には、人工知能が人間の頭脳知を超えると予測している科学者もいます。
既に今でもGoogleやfacebookに搭載されている人工知能の賢さに驚かされることは少なくありません。
もし、そんな時代が本当に実現したとしたら。
機械から出された情報が有益か有害かの判断は、全身の持つ知に頼らなければならないことになるのは間違いないでしょう。
非日常的・情緒的な体験を積んで、身体知の能力を高めておくことは、現代において人が人らしく幸せに生きるためには必ず必要であると思われます。
次回、もう少しこの点について、お話させていただきたいと思います。