健晃堂

英知の人

人々を本当に幸せにしている人たちがいる。

彼らは、もちろん自分の価値観はしっかりもっているが、それは自分にとっていいものであるかもしれないが、他人に押しつけるものではないと心得ている。

悩みのある人の相談にのっていても、無心であって、自分の価値観を出さない。

その人を幸せにするために、その人の必要とするものを見抜いて適切に応えていく。

そのためには手段を選ばず、最も効果のあるものを提供する。

昨日まで効果があっても今日効果がなければさっさと捨てる。

臨機応変、自由自在に変身できる。

偉いと思っていないから、名声や権威に頼らない。

自らが実践し、その体験者であり、創造者なのである。

このように生きる人こそ“英知の人”と言えるのではないだろうか。

考えてみると、悪知恵の逆だということに気がつく

「心がやすらぐ魔法のことば」山崎房一 PHP文庫 より引用

 

 

人々を本当に幸せにしている人は、自分の価値観を他人に押し付けません。

強引なネットワークビジネスの勧誘や、自己啓発セミナーへの参加を強要しようとする人たちとは真逆ですね。

相手が望んでいる本当に必要な提案がさりげなく出来る人。

恩着せがましくなく、相手の役に立ったあとは、自分がしてあげたことすら忘れてしまう人。

こんな人が英知の人と言えるのでしょう。

ビジネスの世界でも、本物は決して強引なセールスを仕掛けたりはしません。

ただ、ひたすらに自分を磨き、商品やサービスの質を上げ、本当に求めている人の役に立つことだけを考える。

大々的に宣伝して、大勢の人を集めるより、少数のお客さんの満足度を徹底的に上げる。

そうすることにより、じわりじわりと口コミが広がり、時間はかかっても結果的に大きな富を得られるようになります。

目の前の人をさりげなく幸せにできる。

自然と周囲に人が寄って来る。

このような人間を目指したいものです。

 

 

しかし、

 

 

そんな話だけでは、ただのキレイ事!!

人は誰だって、良い人間になりたいと、日々頑張っているはずです。

誰でも英知の人になりたいと思っているはずです。

ですが、多くの人はそうはなれません。

なぜなのでしょう?

それは、

英知の人の表面上の姿や振る舞いしか見ていないから。

自分もあんな人になりたいとは思っていても、その人たちが通ってきた地獄のような道筋には足を突っ込もうとしないから。

 

 

私はネットワークビジネスや自己啓発セミナーの勧誘系の人が、大の苦手です。

こんな話には一切、近づきたくないというのが本音です。

ですが、その人たちの考え方や行動を否定する気は全くありません。

なぜなら、そのような人は、英知の人に近づいていく可能性が高いからです。

 

 

勧誘系ビジネスのイメージは、世間一般的には間違っても良いものではありません。

そんな中で大きな成果をあげようと思ったら、目の前の人が本当に求めるものだけにフォーカスしていたのでは、絶対に結果にはつながりません。

だれも勧誘なんかされたくないし、高額な商品やセミナーになどお金を使いたくないはずですから。

なので、自分の提供する商品やサービス、価値観に対し、いかにして共感を得るかが必要になります。

大抵の場合、簡単には認めてもらえないので、とにかく多くの人と接して、たくさんの人に自分の活動を伝えることが大切です。

これは周囲の人達の目を気にしていたのでは、とても出来ることではありません。

人の集まる場の空気など読んでいては、何も結果につながる活動が出来なくなります。

全く空気が読めない人か、あえて場の空気を無視することが出来る人にしか、これらのビジネスでは目立った結果を出せないでしょう。

勧誘系ビジネスというのは、トップと周辺の一部の人間にだけ富が集中する仕組みとしては、本当によく出来ているものです。

大多数の人間は、富を根こそぎ吸い取られるだけ。

しかも、結果は自己責任。

こんな活動を続けていたら、どうなるでしょう?

遅かれ早かれ、人生は大きく狂います。

いつかは奈落の底に突き落とされます。

大きな成果を上げた人ほど、そのあとには悲惨な運命が待っているものです。

 

 

人生の奈落の底に転落してしまったら。

大切にしてきたものを全て失ってしまったとしたら。

今まで正しいと信じて来た行動が、完全に間違っていたとしたら。

どんな屈強な精神力を持つ人でも、自信も生きる気力も失ってしまうでしょう。

そのまま自殺してしまう人も、いるかも知れません。

マイナス思考で頭の中がいっぱいになり、とてもこの経験をプラスに捉えることは出来ません。

学んできたことの全てが信じられなくなり、自分に対しての信頼も失くし、何も心の拠り所が無くなってしまいます。

でも、ある時ふっと気付くのです。

それでも、自分は生きている!

上を見上げてみると、また気付くのです。

どん底から上を見渡せば、世の中の仕組みが驚く程よく見える。

自分が今まで何も知らなかった世界があることに!

世の中の仕組みが見え、冷静に自分の足元を見渡してみると、また気付くのです。

奈落の底には、世のため人のために役立つ宝物が山ほど転がっている!

そして、また気付きます。

大きな失敗を経験し転落したあと、英知の人への道のりを辿った先人たちが付けた足跡が、残っていると。

その足跡を追いかけた時、さらに気付き思い知らされます。

メンターと慕う人や人生の成功者から多くを学んだつもりになってはいたが、本当の意味では何一つとして理解していなかったと!!

真の学びが得られるのは、これからだということに!!

 

 

英知の人は、なぜ人を幸せにするために、必要とするものを見抜いて適切に応えていくことが出来るのでしょう。

それは、世の中に存在する数多くの価値観に触れ、数多くの衝突を繰り返して来たからです。

その結果、どん底に落ちる。

落ちたところからは、自分の今まで知らなかった世界がよく見える。

だからこそ、他人の価値観を否定することがなくなり、自分の考えを押し付けなくなれるのです。

また、大きな失敗を経験し、ネガティブ思考から抜け出せなくなってしまったら。

自分以外の人たちの、自分より優れているところばかりが目に付くようになります。

だからこそ、本当に他人を尊敬することが出来て、自然に相手の良さを引き出せるようになれるのです。

奈落の底に突き落とされたとしても、死なないということがわかると。

突き落とされた場所には、今では大きな成功者となっている先人たちが這い上がって行った足跡がはっきりと残っていることを知ります。

そうなると、何事にも挑戦するリスクに対する恐怖が消えてしまいます。

自分の中から恐怖が消えると、人の悩みを聞いていても無心で聞くことができるようになります。

だから、感情に囚われることなく、臨機応変、自由自在に対応できるようになります。

そうして、英知の人となった人達が辿ってきた道筋を、自身が辿ることになった時。

はじめて、今まで教わったことの本当の意味を全身で感じることが出来るようになるのです。

 

 

世の中には、本当に素晴らしい英知の人がたくさん存在します。

このような人から得られる学びは大きく、いつも周囲には人が集まっています。

ただし、

自分が英知の人になろうと思ったら、

本物を知っている、本物に触れている、本物から教わっている。

これだけではいつまで経っても、決して近付くことは出来ません。

英知の人に辿り着くまでの、険しく厳しい道のりを恐れず、行動を起こす。

ここが一番大切なところです。

悪知恵の逆とは何かを知るためには、まずは悪知恵とは何かを知らなければならない、とでも表現すれば良いのでしょうか!

キレイ事をならべるだけでは、決して英知の人にはなれません。

自らが実践し、その体験者であり、創造者でなければならないでしょう。

悪知恵、空気を読まない行動、大きな失敗経験

これらは全て英知の人に辿り着くまでに、必要なものだと感じています。

Tagged on:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です