ヒンドゥー教では、師が弟子に向かってヴェーダ(聖典)の一行目を繰り返すことから、教えが始まります。
弟子は、その一行を完璧に記憶するだけでなく、言葉と意味の両方を完璧に頭に焼き付けます。
翌日には二行目を学び、一行目をおさらいして、二行まとめて頭に入れます。
次の日には三行目を学び、一行目と二行目を復習して、三行まとめてしっかりと頭に叩き込みます。
こうして、少しずつ覚えていくことで、膨大な量の教えが掛かれている聖典を、一つのまとまりとして覚えることが出来るのです。
記憶力が良い人がやっていることも、これと全く同じ。
つまりは、
“復習”
昨日出会った人の名前や得た知識を、今日、明日と必ず復習すること。
少しずつ、必ず毎日、復習する。
これが何千年も昔から伝わる、最高の記憶術。
でも……
それって!!
普通過ぎる……
そんなのは、記憶術とは言えないのでは?
そう思うのも当然ですよね。
ただし、
やっていますか?
本当に毎日のように、記憶しておくべきことを繰り返し復習している人は、ほとんど居ないのでは?
学校を卒業して、大人になってからでも“復習”の習慣がある人は、今すでに周囲の人から、「すごく記憶力が良い人」と評価されているはずです。
世の中には復習などしなくても、何でも驚くほど記憶してしまう特殊能力を持つ人も確かに存在します。
ですが、そんな特殊能力を教わったところで、普通の人には何の役にも立ちません。
天才といわれる類の人の話は、さっぱり訳がわからないでしょう。
向こうは向こうで、なぜ理解されないのかさっぱりわからない。
こうしてお互いが平行線を辿るだけで、どこまで行っても交わりません。
凡人が天才並みの記憶力を身に付けるには、
“凡事徹底”
誰もが出来る当たり前のことを、誰もやらない当たり前ではないくらい徹底してやること。
前日までの記憶を、毎日少しずつ復習するくらい、誰にでも出来るでしょう。
しかし、やっている人は滅多に居ません。
だから、復習の習慣を持つ人は、記憶力で抜きん出ることが出来るのです。
膨大な記憶があれば、それらと体験が結び付くことで“ひらめき”が起き、富を生み出せるようになります。
そう聞いて、
「よし、今日からしっかり復習の習慣を付けよう」
と、気合を入れ過ぎるのは、くれぐれも禁物!!
ポイントは“少しずつ”
ヒンドゥーの教えでも、一度に多くを覚えようとする行為は戒められています。
一念発起して頑張り過ぎると、復習を日々の習慣に落とし込むまで、例外無く続けることが出来ません。
思い当たることも多々あるのでは?
・一度に少しずつ
・常に復習
この二つのポイントを守ってこそ、膨大な記憶が定着するのです。
今日は、今週出会った人や、得た知識について振り返ってみてはいかがでしょう?
“前日までのおさらい”を毎日続ける事で、一年後のあなたは大きく成長していると思います。