一週間前に、初心を忘れないという言葉の本当の意味についてお話しさせていただきました。
初という字は、衣に刀と書く。
着物を作る時には、どんなにきれいな生地でも鋏を入れなければならない。
初心を忘れないとは、自分に刀を入れる心を忘れないということ。
しかし、こうも思いませんか?
何でも切り捨てれば良いというものではないでしょう。
それに、自分の何に対して刀を入れれば良いのかわからない。
仰る通りですね。
ただ何でも新しくすれば良いということでは無いでしょう。
ならば、どうすれば良いのかについて、孔子の言葉を参考にしてみたいと思います。
孔子は“初心”を忘れて、いつまでも過去にこだわることを“過ち”と呼びました。
「過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ」
孔子の教えを記した論語にある言葉です。
ここでの“過ち”の意味は、いわゆる“間違い”ではありません。
漢字の意味通り“過ぎたこと”や“過剰”という意味です。
つまり、もう時代や環境が変わっているのに、すでに役に立たなくなった物や技術、思考にいつまでもこだわること。
もしくは、必要以上に何かを手にしようとすること。
これらが孔子のいう過ちであり、過ちは改めることに躊躇ってはならないという意味ですね。
身近な例では、季節が秋に変化しているのに、いつまでも夏の服装をし続けるのも、過ちの一つ。
大きな例えでは、貧乏で生活に困っていた人が一生懸命働いて大金持ちになったとしましょう。
もうそれ以上、お金を稼ぐ理由は何も無いにもかかわらず、さらに財産を増やすため、人々から過剰に搾取し続けるのも、また一つの過ちでしょう。
あなたが会社勤めを辞めて、何かの仕事で独立・起業したとしたら。
仕事に関しては、全ての責任が自分にあります。
どれだけ懸命に長時間働いたからといって、必ず収入が得られる訳ではありません。
むしろ、無収入で終わる仕事がほとんどです。
働いたら働いた分だけ報われる、失敗した時は誰かが責任を取ってくれる、などの思考は刀で完全に切り捨てなければなりません。
もう過ぎてしまった会社員の頃の思考を、いつまでも持ち続けることは、大きな過ちです。
“間違い”や“失敗”は何らかの行動を起こせば誰にでもありますが、これらは“過ち”ではありません。
過ぎ去ったものにこだわったり、余剰な物や思考を持ち続けることこそが本当の過ち。
その過ちを改めることが、初心を忘れないということ。
季節は一日一日、変化し続けています。
環境の変化と共に、あなたも変わりつつあるはずです。
初心を忘れないとは、過ちを切って捨てるということ。
すでに過ぎた物や思考へのこだわりや、過剰な物を持ち続けていないでしょうか?
一度、ゆっくりと見返してみてはいかがでしょう?