経済的にも自立して、他人や組織に縛られることなく、自由な生き方を手に入れられる人。
勉強熱心で努力家、人間性も申し分ないにもかかわらず、なぜか、いつまで経っても起業準備中で独立出来ない人。
なぜ、自立出来る人と自立できない人が居るのでしょう?
この違いは、
前者は“頑固でわがまま、他人の話を聞かない人”
後者は“頭が良くて協調性があり素直な人”
このように表現すればよいのでしょうか。
そんなはずはないでしょう!!
逆じゃないの?
常識的に考えれば、そう思うのが普通ですよね。
ですが、現実をよく見渡してみて下さい。
子どもの頃から今までに出会った人の中で、今現在、独立して自力で自分の人生を切り開いている人はどんな人でしたか?
反対に、先生の言うことをよく聞き、学業も優秀で協調性もあり、優等生だった人は大人になってから何をしていますか?
自立している人は大抵、
“嫌われ者”“学業は全く駄目の劣等生”“非行少年”“掴みどころのない変わった子供”
このようなレッテルを貼られていた人ではないですか?
反対に、子どもの頃、優等生で人気者だった人は、大人になるとほとんどが、他人に使われる立場になっているのでは?
どちらが良くて、どちらが悪いという話ではありません。
独立して生きるのも、組織の一員として生きるのも、両方とも素晴らしい面があります。
「会社から独立なんてしたくない、一生、サラリーマンとして生きていきたい」
というのであれば“頭が良くて協調性があり素直な人”になるべきでしょう。
しかし、経済的に自立し、自由に生きたいのであれば、絶対に必要なのは、先日からお伝えしている“身体知”を高めること。
よく考えてみて下さい。
学校の授業の内容は、自分の頭で考えたことや体で感じたことでは無く、誰かから、これが正しいと教えられたことばかりですよね。
ですが、それらが絶対的では無い事は、歴史が証明しています。
偉大な大哲学者、アリストテレスですら、世界の中心に地球があり他の星や太陽が地球の周りを回っている、といった間違いを唱えているのですから。
大人になってからの学びに対しても、同じことが言えます。
何々の権威、偉大な先生と呼ばれている人の話を鵜呑みにするだけでは、素直で勉強熱心な人にはなれても、独自の価値を創り出すことは出来ないでしょう。
人から素直に熱心に学んではいけない、ということではありません。
得られる情報を受け入れる素直さは確かに必要です。
何事も受け入れる姿勢が無ければ、そもそも何も生み出せませんから。
忘れてはいけないのは、人は自分の足で立って、自分で呼吸をして生きているということ。
生きるために頼りにすべきなのは、自分自身の能力です。
人の話をよく聞き、素直に何でも受け入れる姿勢は大切だとしても、それらに頼って生きるということは、“他人任せに生きるということ”
外部からもたらされた情報の力で、頭が良くなったとしても。
それは、表現は悪いかも知れませんが、自分以上の知を持つ人に都合良く使われる能力を磨いているに過ぎません。
だから、頭が良くて素直な人は、いつまで経っても自立できないのです。
経済的に自立して生きるためには、自分にしか創り出せない何らかの価値を社会に提供出来るようになる必要があります。
人の創り出す価値には二種類あります。
一つは、情報を収集たり知識を習得して、頭の中で創り出す価値。
もう一つは、生きた体を通して、理屈抜きに感じたまま、独自に創造する価値。
自立して生きるためには、独自に創造する価値の方が大切なのは、説明の必要は無いでしょう。
社会的に自立して生きるための方法として、様々な塾や講座が開かれています。
このような勉強も、いくら続けたところで、先生に頼ってばかりでは、いつまで経っても本当の力は身に付きません。
他人からもたらされた情報や知識によって創造された価値は、結局は他人のものでしかないのですから。
“自分自身に頼る”といった気持ちで、頼れる自分を育てていく行為は、周囲の人からはしばしば誤解されます。
先生がこう言っているのに、人の話を聞かない頑固な奴。
わがままで協調性が無い。
などの言葉を浴びせられることは少なくないでしょう。
ですが、全身の細胞の持つ知、つまり身体知で考えなければ、自分独自の価値は創造出来るようにはなりません。
インターネットから様々な情報を一瞬で手に入れることが出来る現代では、尚更、この身体知が重要になって来るでしょう。
では、どうすれば、全身で考える力を高めることが出来るのでしょうか?
次回以降、少しずつお伝えさせていただきます。